リサ・ランドールの世界
リサ・ランドールが一般向けに書いた解説の小論がありましたので、彼女の理論を少しでも理解するために、
ここに翻訳して掲載します。
3D is our cosmic destiny と題して、Seed Magazine という雑誌の2005年10月号に寄稿されたものです。(管理人)
三次元はわたしたちの宇宙的宿命
わたしたちの生存は、三次元空間に現われている。わたしたちが観察し経験するすべてのものは、
毎日の夜明けから夕暮れに至るまで、この三次元に存在していることを確認している。しかしわたしたちの宇宙は何故このような
展開になったのだろう。三次元には何か特別なものがあるのだろうか。
わたしたちは何故三次元空間のみ体験しているのであろうか、上下、左右そして前後の空間のみを。このことはわたしたちの
意識に深く刻まれているので、ほとんどの人はそのことをあえて問おうともしない。しかし物理学者にとっては、わたしたちは
何故三次元空間のみを体験しているのか、わたしたちは何時もっと多くの次元があることを知ったのか、このことは極めて重大な
課題であり、世紀の変わり目に開催された会議で、物理学の未解決問題のなかでトップ・ファイブの重要案件の一つに数え上げ
られたほどである。それは単に宇宙的な偶発事にすぎないのか、あるいは宇宙には三次元を選択する自然の優先権があるのだろうか。
最近の余剰次元に関するわたしの研究は、一つの可能性としての答えを見つけたのである。
ひも理論は、物質の究極の単位は極微の振動するひもであるとするものだが、非常に小さいものと非常に大きいもの、すなわち
量子論と一般相対性理論をたえず組み合わせてきた。その理論は大きな可能性を秘めているが、物理学者はひも理論とわれわれの
物理世界との関係を未だ究明できないでいる。たとえば、ひも理論は三次元空間の宇宙を明確に説明できないばかりか、
ひも理論にはもっと多くの次元が現われてくるのである、たぶん9次元や10次元もの多次元が。このように多くの次元を計量する
ことは非常に難しいにもかかわらず、ひも理論の物理学者はそれらを受けいれて問わざるをえないのである。
これらの余剰次元はどこにあるのか、わたしたちには何故それらが見えないのか、そして何故わたしたちの宇宙で三次元が
特定されているのか。物理学者は最初の二つの問いには時間をかけて取り組んでいるが、三番目の問いには暫定的な案しか
持ち合わせていないのである。
今、ひも理論の中心的なそして多様な議論のある問題は(実に物理学の最大の課題でもあるが)、わたしたちの宇宙のなかで
すでに知られている物質の特性、たとえば粒子の質量やダークエネルギーなど、そのどれを予測できるかということである。当初から
ひも理論は「すべてを説明する理論」と喧伝されているが、多くの物理学者は宇宙の物理的特性の幾つかは、ひも理論や他の方法
によっても、計算することができないかもしれないと考え始めている。これらの物理学者たちは「人間原理」を受け入れている、
この原理のいうところでは、わたしたちはこの特定の宇宙に住んでいる、なぜならこの宇宙が銀河やひいては生命を支える唯一の
ものだからであるということである。人間原理が広く受けいれられれば、物理学に大きな変革を記すことになるだろう、なぜなら
未解決の問いに対する予測をあきらめることになるからだ。
しかし自然を深く理解しようとする目的を思い切って捨て去る前に、物理学者はひも理論が提示するすべての物理的シナリオを
探求する必要がある。ひも理論家が「風景」と呼んでいるもう一方のシナリオには、明確な物理的特性をもった宇宙がある。
物理学者には課題であり、わたしが新たに取り組んでいる問題は、すべての質的に異なった存在可能な宇宙を見つけ、
そしてそれらの宇宙のなかでもっとも存続しそうな宇宙を決定する原理を究明することである。この問題の解決に至る
一つのルートは、何故わたしたちは三次元空間を経験しているのかを理解しようとすることである。
物理学者は長い間、追加の次元の可能性を考えてきた。1919年、アインシュタインの一般相対性理論のすぐあとで、
ところでアインシュタインの理論は三次元を特定しなかったのであるが、テオドール・カルツァは空間の余剰次元の存在を示唆した。
続いて1926年にオスカー・クラインは、わたしたちには何故それが見えないのか、この問いに対する答えをだした、この答えは
1990年台の後半まで、唯一可能なもののように思えた。彼の提案は、余剰次元は非常に小さく巻き上げられるので見えないのだ、
というものであった。たとえば、もしあなたが余剰次元が管のように巻き上げられているのを想像して、その管の幅が非常に小さい
としたら、あなたはそれを見ることができないでしょう。どんな構造物でもこのように非常に小さいものは見過ごされるだろう、
この本の紙の原子構造が見えないのとおなじように。
この見解は1999年まで続いたのであるが、その年、同僚のラマン・サンドラムとわたしは、何故余剰次元が
隠れているのか、その全く違う理由を発見した。アインシュタインの相対性理論によれば、エネルギーと物質は空間と時間を曲げる。
ラーマンとわたしは、時空が極端に歪曲していれば、たとえ余剰次元が無限の大きさを持っていたとしても、わたしたちの
検出にはかからないだろう、と気がついた。時空の歪曲のため、重力は余剰次元では、わたしたちが三次元で経験するように
効率よく伝達しない。その結果、(余剰次元がある条件下で)わたしたちが感じる重力は、(余剰次元のない)三次元世界で
経験する重力とほとんど同等で、かつ余剰次元の検出を非常に難しくする、というものであった。 この考えはあまりにも異常で
そして驚くべき意味を含んでいたので、物理学者たちから受け入れられるのにしばらく時間がかかったのである。
わたしたちの余剰次元の研究で、重要な要素となるのは、「ブレーン」とよばれる対象物であり、これはひも理論でもう一つの
基本的要素となっているものである。ブレーンは高次元空間で細胞膜のような対象物で、粒子や力(他の知られている力と
非常に異なっている重力を除く)を閉じ込めることができる。これらの粒子や力はブレーンの次元にそって移動できるが、ブレーンと
垂直方向の次元には行けない。二次元のブレーンは、池の表面のようなものであり、粒子や力はその表面を泳ぐアヒルである
と想像することができます。
ブレーンの概念は、必然的に「ブレーンワールド」(複数形)という考えを生じさせます、そしてわれわれの宇宙はそのなかの
一つのブレーンの表面に存在している。ブレーンワールドのシナリオでは、重力はすべての次元の空間に伝わるが、
わたしたちの宇宙を構成するもの、すなわち原子や星や電磁気力はブレーンに閉じ込められている。ブレーンワールドは、
全く新しい設計図を提供し、そこでは多世界宇宙のような周辺宇宙が描き出され、そのなかではそれぞれ異なる宇宙が異なるブレーン
に張り付いています。
三次元空間の場所
これらの理論は荒唐無稽のように思われるかも知れないが、ラーマンとの共同研究のあとで、アンドリース・カーチとわたしは、
空間はもっと壮観であり得ることを発見した。宇宙はあるところでは三次元空間として現われるし、他のところではもっと高次元で
現われるのである。
わたしたちは三次元ブレーンに住んでいるし三次元空間を経験しているかもしれないが、わたしたちの認識を越えた
ところではそうではないないかもしれない。言い換えれば、わたしたちの宇宙は、多次元のもっと大きな世界のなかにある、
三次元の小さな隔離されたくぼ地のようなものかも知れない。これはわれわれの想像を絶する、コペルニクス的革命をもたらす考えである。
にもかかわらず、余剰次元のあれこれの研究では、まずもって何故三次元ブレーンがあるのかという疑問が持ち上がる。
最近のわたしとアンドリースとの共同研究は、その答えを出そうとした試みである。わたしたちは、どのようにしてひも理論が三次元
ブレーンを特定し、そして三次元空間を特別なものとして選び出すのかを明らかにしている。わたしたちは、ひも理論が示唆するように
宇宙は実際に10次元時空から成り、当初はあらゆる可能な次元のブレーンに満たされていたと仮定した。そして、わたしたちは問うた、
もしすべての9次元空間が大きくてどれも小さなサイズに巻き上げられていなかったならば、この宇宙はどのようにして時間
とともに展開したのか、と。
この思考実験の結果は、素晴らしいものだった。もし宇宙がすべての次元を備えたブレーンで始まるとしても、そのほとんどは
宇宙の進化に生き残れないだろう。アインシュタインの重力理論によれば、時間が経つにつれて、高次元が占める空間の容積は、
三次元ブレーンが占める空間に比して希薄になる。優先権があるのは、自然に生き延びるブレーンである。わたしたちはこれを
「落ち着きの原理」と呼び、宇宙は「三次元に落ち着く」方に優先権があると結論した。この結論と以前のわたしの研究とを合わせると、
次のようなシナリオに導かれる、すなわち、たとえ宇宙が実際に高次元であっても、わたしたちは三次元ブレーンに住むことになる。
明らかに、宇宙にはもっと理解すべきことが沢山ある。もはや三次元に限定た理論に拘泥しないわたしたちが
発見したのは、物理学者が何年も気づかなかったアインシュタイン方程式の驚くべき結論であった。わたしは余剰次元は
外部にあると確信しているし、わたしたちの最大の課題はそれらの結果を探り出すことであり、さらにどのようにしてそれらを
発見するかということである。余剰次元がいくつあったら宇宙の根本原理が明らかになるのかを考えてみると、
われわれは探求するよりほかにどんな選択肢があるだろう。